最近、女の子のお子さんやお孫さんができたご家庭には「ひな祭り」は一大イベントだと思います。きれいな着物を着せて写真撮影したりお雛様を飾ってお祝いしたりと何かと準備の多い行事。
日本の行事のすべてに共通することですが、意味もわからずやってしまっていることが多くて、とまどってしまうことも多いと思います。
みゆきん今回の記事のテーマは『ひな祭り』の由来を説明します。
この記事では、本来の行事やしきたりの意味をちゃんと理解した上で、そのご家庭のライフスタイルに合わせて実行していけばよいのかという判断基準に少しでもなればと思い紹介させていただきます。
二十数年前までの私にとってのひな祭りは、妹の七段飾りのひな人形の用意を手伝わされるイメージしかありませんでしたが2018年の12月に孫娘ができてからというもの、楽しみでしかない行事の一つとなっています。
ひな祭りとはどんなお祭り?【3月の行事について勉強しよう】

実は・・・ひな祭りは・・かつては野外での遊びだったのです。
ひな祭りは女の子の成長と幸せを願う行事です。毎年娘さんと一緒にお雛さまのしつらえを楽しみにしてらっしゃるお母さんも多いことでしょう。
ひな祭りは中国から伝わった「踏青(とうせい)」と日本古来の「祓え(はらえ)」の儀式が組み合わさってできたといわれています。
現在は女の子のための行事ですが、昔は老若男女を問わず行事に参加していたのです。
踏青(とうせい)の意味
踏青とは古来の中国から伝わる春の青草を踏む野遊びで、川の流れで禊(みそぎ)をおこない、酒を酌み交わして穢れ(けがれ)を祓いました。
これを行ったのが三月の上旬の巳の日(上巳(じょうし))であったことから、ひな祭りは上巳の節句ともいわれます。やがて上巳の節句は奇数が重なる三月三日になりました。
禊(みそぎ)の意味

禊とは、身体を清めるために神に仕える者にお祓(おはらい)をしてもらうことを指し、「古事記」にも記されています。
もともとは海や川で身を浄めていましたが、やがて紙や木などで作った人形で体をなで穢れや疫病、災いを移してから海や川に流して厄を祓うようになったのです。これが流しびなの原型です。
また昔は女の子がひな人形を携えて眺めのいい丘や小高い山に登り、座をしつらえてひな人形を飾っていたのです。ひな人形に四方を見せてあげることから、これを「ひなの国見せ」といいます。
座をしつらえるというと大袈裟に聞こえるかもしれませんが、実際には特別な道具を用いていたわけではなく、普段着の上に羽織った晴れ着の羽織を脱いで草原に広げ、ひな人形を飾ったようです。
今と違って昔は幼くして亡くなる子も多く、その子の魂を人形に託し、家族で一緒に野山の美しさを感じたいという想いが込められていたのでしょうね。
ひな人形の並べ方には意外な歴史が・・⁉
祓えの儀式に紙や木でつくられていた人形は、平安時代の頃には「天児(あまがつ)」「這子(ほうこ)」と呼ばれる白い布で作られた幼児形のぬいぐるみとなり、水に流すのではなくお守りとして子供の枕元に置かれるようになりました。
やがて天児や這子に衣装を着せるようになり現在の人形へと変わっていきます。
そしてひな壇に飾られるようになったのは、江戸時代に徳川家康の孫である東福門院和子(まさこ)さまが娘(女帝・明正天皇)のために作った座りびなが最初だといわれています。
京都の十禅師に明正天皇が寄進された「天児」「這子」が現存しています。
江戸時代中期には女の子が生まれて初めての節句「初節句」を祝ってひな人形を飾るようになり、毎年ひな祭りが行われるようになりました。
はじめは武士階級の間だけでしたが、町民にも広まり地方にも伝わっていきました。ひな祭りの季節になると江戸の町にはひな市がたち、ひな人形を売っている様子は絵にも描かれています。
男びな(おびな)と女びな(めびな)の並べ方にも意味があります。昔は皇帝などの偉人は南に向かって座っていました。
そうすると左手の方から太陽が昇るので、ヒ(日)ダ(出る)リ(方向)から「左」となり、左上位の考え方が生まれたそうです。
舞台で使う「上手(かみて)」は左(客席から舞台に向かって右)、「下手(しもて)」は右(向かって左)なのも、左上位の考えに基づいています。
関西ではこの考えを受け継いでいて、男びなは左(向かって右)、女びなは右(向かって右)となっています。
ところが関西以外の地域では男びなを右(向かって左)、女びなを左(向かって右)に並べています。
これを関東式といいますが、この並べ方が定着したのは昭和になってからのこと。
第二次世界大戦が終わった後に、マッカーサーが西洋式の右優先にするように命じたからといわれています。ひな飾りの並べ方には歴史があるのです。
ひな祭りが桃の節句ともいわれている理由

桃には邪気を追い払う「気」があるのです
ひな祭りは桃の節句とも呼ばれ、歌でも「灯りをつけましょ~お花をあげましょ桃の花♪」と桃の花をひな壇に飾っている様子がでてきます。
旧暦では上巳の頃(三月上旬)は梅の花が終わり、桃の花が咲く時期だったので桃の節句となったのでしょう。ももは中国から渡来したもので、中国では仙木、仙果と呼び邪気を祓い百鬼を制する霊力があるといわれています。
桃は「兆し(きざし)」という文字を含んでいて、兆しは「兆候」や「前兆」などの未来を予想する言葉に使われることから、桃は兆しを持つ木、未来を予知して魔を防ぐ木と考えられていたようです。
日本でも古事記で伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が鬼女である黄泉醜女(よもつしこめ)に桃の実三つを投げつけて退散させたという話が出ています。
そう考えると桃太郎の鬼退治も桃が邪気を祓ってくれるという所からきているのかもしれませんね。
桃は飾るだけではなく、桃の花を浸した酒を三月三日に飲めば百病を除くともいわれています。
なによりも桃は暗いく寒い冬を超えて花を咲かせます。その華やいだ姿はひな祭りにふさわしく、春の訪れを喜ぶ昔の日々の姿も目に浮かぶようです。
ひな祭りとはどんなお祭り?【3月の行事について勉強しよう】のまとめ

ひな祭りは、かつては「野外での遊びでした。
ひな祭りは中国から伝わった「踏青(とうせい)」と日本古来の「祓え(はらえ)」の儀式が組み合わさってできたといわれています。
現在は女の子のための行事ですが、昔は老若男女を問わず行事に参加していたのです。人形を飾る歴史は平安時代までさかのぼります、今のひな壇飾りに移行したのは江戸です。
飾り方にも歴史があり時代背景を垣間見ることができます。(本文をぜひ読んでみてください。)合わせてひな祭りには欠かせない桃の花についてもお話させていただきました。
ひな祭りは最愛の我が子や孫の行く末を願う家族のやさしさが詰まった行事なのです。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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